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福岡高等裁判所 昭和57年(う)329号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

この裁判の確定した日から五年間右刑の執行を猶予する。

押収してある刺身包丁一本(当庁昭和五八年押第七号の一)及び出刃包丁一本(同号の二)を没収する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官丸山利明(検察官佐藤克作成名義)が差し出した控訴趣旨書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判決する。

右控訴趣意(事実誤認に基づく法令適用の誤)について

所論は要するに、

「被告人は、昭和五六年四月一日午前二時ころ、熊本県玉名郡長洲町大字清源寺七七七番地雄飛建設従業員宿舎二階二号室の被告人方前廊下において、先に殴り合いの喧嘩をした天木求ら五名が脇差を携えて仕返しに来たのを認め、これに応戦するため、右手に刃体の長さ約19.3センチメートルの出刃包丁を、左手に刃体の長さ約17.4センチメートルの刺身包丁を持つて同人らに立ち向つたが、天木からやにわに脇差で頭部を斬りつけられて憤激のあまり同人を殺害しようと決意し、右手に持つていた出刃包丁で同人の左胸腹部を力一杯突き刺して、同人に胸部刺創(心膜、横隔膜、肝、胃損傷)の傷害を負わせ、よつて同人をして、縦隔膜膿瘍、脾臓腫大、肝臓腫大、黄疸、菌血症等を併発させ、更に、気管支肺災、肺水腫を続発させ、これらに基づく急性心不全により、同年九月一七日午後七時八分ころ、熊本市長嶺町二、二五五番地二〇九熊本赤十字病院において死亡させ、もつて殺害したものである。」

との公訴事実(変更後の訴因)に対し、原判決は、被告人が公訴事実の日時、場所において、天木求(以下、「天木」という。)の左胸部を所携の出刃包丁で突き刺し、同人に胸部刺創(心膜、横隔膜、肝、胃損傷)の傷害を負わせ、よつて同人をして、縦隔膜膿瘍、脾臓腫大、肝臓腫大、黄疸、菌血症等を併発させ、更に気管支肺炎、肺水腫を続発させ、これらに基づく急性心不全により、同年九月一七日午後七時八分ころ、熊本市長嶺町所在の熊本赤十字病院において死亡させたことは認められるものの、被告人の所為は天木の急迫不正の侵害から自己の生命、身体を防衛するためやむを得ざるに出た正当防衛行為であると認め、被告人に対し無罪を言い渡したのは、証拠の取捨選択とその価値判断を誤つて、事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤つたものであり、右の誤認又は誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄されるべきである、というに帰する。

よつて検討するに、原審並びに当審において取り調べた各証拠、就中後記挙示の証拠によれば、

1  原判示第四の(一)の事実、

2  天木は昭和五六年三月三一日午後八時三〇分ころから同一〇時三〇分ころまで熊本県玉名市永徳寺の田中豊志(以下「田中」という。)方で、同人が天木に依頼した山砂をダンプで運搬する仕事の打合せをするかたわら、田中及び園徹男(以下、「園」という。)とともにウイスキーなどを飲んだ後、田中の誘いで同人及び園とともに同市亀甲にあるクラブ「しばり」に赴き、同所において飲酒し、同店の閉店時間である同日午後一一時ころ帰宅するためタクシーを待つていたこと、

3  被告人、浜津正及び中村栄司の三人は同日午後一一時三〇分過ころクラブ「しばり」に入り、被告人において「酒を飲ませてくれ。」と言い、同店経営者北岡規子から同店の閉店時間を過ぎていたため、「すみませんが、スタンバイですので。」と断られるや、「何、まだよかろうが。」、「まだ飲んどるとがおるじやないか。」などと申し向け、田中から「うるさい。」と言われるや、「何か、ぬしどみや。」と言い返し、これを発端として田中と同店内で胸倉を掴み合い、やがて同人をテーブルの上に押し倒し、北岡規子から「喧嘩なら外に出てして下さい。」と言われ、これを受けて天木から「おい、ぬしや外へ出ろ。」と申し向けられるや、天木、田中に続いて同店の外に出、同店前路上で、天木及び田中との間で、互いにその顔面等を手拳で数回殴打したり膝等を数回足蹴りしたりするなどの喧嘩をし、これを止めに入つた園の顔面に手拳で二回位殴りかかり、連れの中村栄司や浜津正から天木及び田中と引き離されても、謝りに来た天木に殴りかかろうとし、中村栄司から天木らより約一〇メートル遠ざけられても、「若かつが、横着か。」と罵り、天木及び田中から「後から出て行くから待つとけ。」、天木から「ぬしや雄飛の二階に居つとだろうが。」と申し向けられ、「おお、いつでんけえ。待つとるけん。」と言い返したこと、

4  その後、被告人は中村栄司及び浜津正とともにタクシーで帰途についたが、途中の車内で右中村から「天木さんは以前やくざをしていた人だから、来ると言つたら来るけん、このまま兄貴さんの家か、嫁さんの家に帰つた方がいいんじやないか。」と勧められたにもかかわらず、「男が一旦待つとると言うたからにや、待つとかにやいかんから家に帰る。」と言つて右勧めを聞き入れず、翌四月一日午前零時三〇分過ころそのまま帰宅したこと、

5  帰宅後、被告人は妻の恵美子に対し、「ぬしやここに居たら危なかけん、実家に帰つとけ。」、「今よごれ五、六人と喧嘩してきた。向うが五、六人で来るけん。」、「よごれだけん、来ると言うたなら来る。切れ物は持つて来るけん、俺も持つとかにやいかん。」、「相手は五、六人で来るけん、自分一人では危なか。」、「俺が殺されても良かつが。やられる前にやつてやる。」などと興奮した口調で申し向け、台所の流し台の所に行つて、刃体の長さ19.3センチメートルの出刃包丁(当庁昭和五八年押第七号の二)と刃体の長さ約17.4センチメートルの刺身包丁(同号の一)各一本を取り出し、これらを玄関の靴箱の上に置いたが、右恵美子はその間被告人に対し「危なかけん、持つとくといかん。」と注意したものの、被告人が全くこれを聞き入れないばかりか、とても興奮しており、普段においても若干短気な所があるので、右各包丁を取り出したりするのを制止すると、かえつて逆効果となり、包丁を同女に向かつて振り回しかねない雰囲気であつたので、被告人のなすがままにし、その後こたつに寝転がつて被告人に対し改めて事情を尋ねたうえ、心配して「友達か誰かに電話しよう。」と言つて、右流し台横の電話の受話器を取り上げかけたところ、被告人から「せんてちやよか。」と制止されたので右受話器を戻し、その後暫くしても誰も来ないので、被告人に対し「もう来んよ。寝なつせ。」などと何回勧めても、被告人は同女に対し「お前は寝とけ。俺は待つとく。」と申し向けて一向に床に就こうとせず、同日午前二時ころに至つて初めて「三時まで来んなら寝ろうかね。」と言つたこと、

6  原判示第四の(五)の事実、被告人方居室北側の廊下の北端に存する鉄柵下部のコンクリート縁の高さは約二五センチメートルであること、及び被告人方居室南側のベランダ南端の鉄柵に綱等を結びつけて地上に垂らせばこれを伝つて地上に降ることは可能であつたこと、

7  他方、天木は、前記喧嘩の後田中及び園とともに帰途についたが、被告人から乱暴されたことが口惜しくてたまらず、園に対し「あやつどんには一口言わんと気の済まん。今から話ばつけに行くばつてん、あやつどんも切れ物ば用意しとるどな。何かなかろうか。」と申し向け、園から「刀の家にある。」という返答をえて、同人に「それを持つて行こう。」と申し向け、更に、友人の大廣寛(以下、「大廣」という。)及び嶋村稔(以下、「嶋村」という。)にも事情を話して助勢を求め、途中園方に立ち寄り、同人が同人宅から持ち出した刃体の長さ約57.3センチメートルの脇差一振(当庁昭和五八年押第七号の三)を田中が受け取り、ここに天木と田中、園、大廣及び嶋村の五名はいずれも右脇差を携行してともに被告人宅に押しかけ、被告人に対し先ず右脇差で脅しつけて被告人を謝らせようそれでも被告人が謝らず被告人あるいはその仲間達が包丁等の刃物で切りかかつてくるなどした場合は、右脇差を振るつて被告人と切り合つたりなどすることになるかも知れないと考えながら普通乗用自動車に乗り込んで昭和五六年四月一日午前二時ころ被告人方付近に到着して同車から降り、被告人方居室北側の前記廊下に至り、天木が同室玄関のブザーを数回鳴らし、更に同玄関ドアをドンドンと数回叩いたこと、

8  被告人は天木が元暴力団員であるから刃物やピストルを準備して多勢で押しかけてくるかも知れず、その場合自分が殺されかける破目になるかもしれないが、それも自分がまいた種によるものであるから、出刃包丁と刺身包丁で立ち向かいやられる前にやつてやれと覚悟を決めていたものの、前記喧嘩後約二時間を経過しても、天木らが押しかけてこないことから、もしかしたらこのまま来ないのではないかと思い始めていたころ、右のようにブザーが鳴り玄関のドアが叩かれる音を聞いて、天木らが来たことを感知し、一旦はそうけだつ思いをしたものの、部屋の中から「誰かい。」と尋ね、廊下から天木が「天木たい。」と答える声を聞いて、玄関ドアをチェーンロックしたまま少し開け、廊下に点燈された螢光燈の明りで、天木と田中が右ドアの直ぐ前に立ち、その後方あたりに園外二名が立ち、田中がジャンバーようのものに包んだ日本刀ようのものを持ち、他に武器らしいものを持つている者はいないことをいち早く看取し、天木らに対し「ちよつと待たんかい。」と申し向けた後、このままの状態で廊下に出れば日本刀で切られて殺されるかもしれないが、室内には妻と一二歳の長女及び六歳の二男がいるので廊下に出たうえ出刃包丁と刺身包丁で立ち向かうしかないと考え、包丁を取るためあわてて台所の流し台の所まで戻つて、先に出刃包丁と刺身包丁各一本を玄関の靴箱の上に置いていたことを思い出し、妻恵美子に対し「わしが出たなら、玄関はつめとけよ。」と言い残し、玄関靴箱の上に置いていた出刃包丁を右手に、同刺身包丁を左手に持ち、天木らに対し、「外に出るけん、ドアから離れろ。」と叫びながら、ドアを開けて廊下に飛び出し、同玄関ドア前廊下において、出刃包丁と刺身包丁をいずれも順手に握り、その各刃先を天木らに向けてそれぞれ腰のあたりに構え、天木らと約1.4メートルの間隔をおいて対峙し、「話せば分るじやないか。」と申し向けて同廊下北端付近に移動したところ、天木が田中から手渡された前記脇差の鞘を払つて被告人に近づき同脇差を振り上げ被告人の前頭部及び前額部目がけて切りつけたので激高し、このうえはやられる前にやつてやれと決意し、すかさず右手に持つていた出刃包丁で自己の右上方から左下方に向けて(天木の方から言えば、左上方から右下方に向けて)天木の左胸部を一回力一杯突き刺したが、その直後田中、大廣及び嶋村が被告人に飛びかかり、被告人を右廊下北端の手摺に押しつけ、右包丁二本を被告人から取り上げて捨てたので、被告人は田中らを振り払つてその場から逃げ去つたこと、

9  被告人はそのため前頭部及び前額部に約一〇日間の加療を要し、骨膜に達する、長さ約六センチメートル、深さ約1.2センチメートルの切創(八針縫合)と右頸部擦過傷を負つたが、他には何の創傷も受けなかつたこと、

10  天木はそのため外部において左上方より右下方にかけて前胸正中下部に至る長さ約一一センチメートルの創傷を、内部においては皮下軟部組織、左第五及び左第六肋骨肋軟骨及び胸骨下部を傷つけ、心膜、横隔膜、胃、肝臓を傷つける深さ一五センチメートルの創傷をそれぞれ受け、右刺傷は身体の外側斜上から内側下方に向かつておること

以上の事実を認めることができる。そして、右の各事実を総合し、被告人が天木の身体の枢要部である左胸部を狙い前記出刃包丁で力一杯突き刺す所為が優に人を殺害するにたるものであること、及び、加害の意図が予期されているからといつて、当然に逃避する義務はないけれども、被告人は天木らの襲撃を当然予期しながら、単に逃避しなかつたというだけではなく、これに対抗するため優に人を殺害するにたる出刃包丁及び刺身包丁各一本を準備し、単なる受動的防衛のためではなく、天木らが脇差を構える前に、自ら両手に持つた右各包丁の刃先を同人らに向けてそれぞれ腰のあたりに構え、積極的に一層切迫した危険状況を作り出して同人らに立ち向かい、天木から先制攻撃を加えられるや、間髪を容れず敏速有力にこれに反撃を加えたものであることを考え合わせると、被告人が天木の身体の枢要部である左胸部を狙い前記出刃包丁で力一杯突き刺した際、殺意を有していたことは明らかであり、また、被告人はその際単なる防衛の意思のみに止まらず、この機に乗じ積極的に天木を殺害する意思で対抗し、喧嘩闘争に及んだことを認めることができる。

これに反し原判決は、その瞬間(すなわち、天木がいきなりその脇差を振り上げ被告人の前頭部目がけて切りつけ、右傷からかなりの出血があつた瞬間)、殺されると思つた被告人は、大声で「そがんこつばせんちや話はすれば分かるどが。」と言つた。これに対し天木は、「何か、貴様。」と怒鳴りながら、なお攻撃の手をゆるめず、右の一撃を受け、後方によろけて廊下鉄柵に押しつけられたような状態の被告人の胸腹部付近を目がけて更に右脇差で突きかかつて来た、しかし、右二度目の攻撃はねらいがはずれ、脇差が被告人の左脇下にはさまるような形になつたので、被告人はこれ以上刺されたら殺されると思い、右鉄柵のコンクリート縁に尻もちをつくような中腰の姿勢になりながら、右脇差を自分の左腕と左脇腹の間に強くはさみ込み、同時に無我無中で天木の上体目がけて右手に持つていた出刃包丁を力一杯突き出したところ、右包丁は同人の左胸部に突き刺さつた。その直後、大廣や田中らが被告人に飛びかかり、右包丁二本をとりあげて捨てた、と認定するのである。

なるほど被告人の検察官に対する昭和五六年四月九日付供述調書、被告人の原審及び当審公判廷における各供述中には原審の右認定にそう供述部分も存するけれども、該供述部分はいずれも田中豊志の検察官に対する昭和五六年四月一〇日付、同月二〇日付、同年六月一六日付各供述調書(前二者は謄本)、園徹男(同年四月一六日付)、大廣實(同月一七日付)、嶋村稔(同日付)の検察官に対する各供述調書(各謄本)、証人田中豊志、同園徹男、同大廣實、同嶋村稔に対する当裁判所の各尋問調書、水本誠一の司法巡査及び検察官に対する各供述調書及び鑑定人神田瑞穂作成の鑑定書とそれぞれ対比し、とりわけ、天木の前記刺傷は身体の外側斜上から内側下方に向かつており、しかも力一杯突き刺して初めて形成されるものであるから、天木が前屈みになつていた形跡の全く窺えない本件において、被告人が高さ約二五センチメートルの前示コンクリート縁に尻もちをつくような中腰の姿勢になりながら天木の上体目がけて右手に持つていた出刃包丁を突き出すというような原判決認定の状況では到底形成されえないものであり、また、天木が、最初の一撃を受け、後方によろけて廊下鉄柵に押しつけられたような状態の被告人の胸腹部付近を目がけて右脇差で突きかかつたのに、この二度目の攻撃は狙いがはずれ、同脇差の刃が被告人の左腕と左脇腹のほんのわずかな隙間にはさまるような形になつただけで、被告人の左腕、左脇腹、あるいはその着衣に何らの損傷も与えなかつたというのも極めて不自然であることを考えるとき、到底信用することができない。

すなわち、右各証拠によると、田中、園、大廣、嶋村は被告人と相対した天木の背後にいたため被告人が天木を出刃包丁で刺した瞬間を目撃してはいないけれども、天木が前記脇差を振り上げ被告人の前頭部及び前額部を目がけて一回切りつけた直後ころ、田中は被告人が天木の方に飛び込んできて、右両名の体が触れ合つたのを目撃したので、直ちに被告人のすぐ東側に走り寄りその左手首を左手で握り、右手で被告人の左腰のあたりを押したところ、田中が被告人の東側に走り寄るのと同時に大廣が被告人のすぐ西側に走り寄りその右手に持つた出刃包丁の柄のあたりを両手で掴み、その直接嶋村が被告人と天木の間に急いで割つて入り、被告人の右手首付近を左手で掴む一方天木の左肘関節を右手で掴み、それぞれ被告人を前記廊下北端の手摺に押しつけたうえ、田中が被告人の左手から前記刺身包丁を、大廣が被告人の右手から前記出刃包丁をそれぞれもぎ取つて、右手摺の外へ投げ捨てるや、被告人は急いで田中らを振り払つてその場から逃走したのであるが、田中は被告人の左手から右刺身包丁をもぎ取ろうとしていたころ天木の左胸部から血がにじみ出ているのを発見し、園及び嶋村も被告人の逃走直後天木が右廊下において片手で左胸部を押えて苦しそうにし、その手の下から血がにじみ出ていたのを見たことを認めることができるのであつて、以上の各事実を総合すると、被告人は天木が前記脇差を振り上げ被告人の前頭部及び前額部目がけて切りつけた直後に、すかさず右手に持つていた出刃包丁で自己の右上方から左下方に向けて(天木の方から言えば、左上方から右下方に向けて)天木の左胸部を一回力一杯突き刺したものと認めるほかはないのである。

その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、右認定を左右するにたる証拠はない。

しかして、右のように被告人が単に予期された侵害を避けなかつたというにとどまらず、その機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で対抗するときは、たとえ相手から先に攻撃を加えられて反撃した場合においても、もはや法秩序に反し、これに対し権利保護の必要性を認めえないから、刑法三六条にいわゆる侵害の急迫性の要件を充たないものと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷昭和五二年七月二一日決定、刑集三一巻四号七四七頁参照)。従つて天木の前記攻撃は不正の侵害というべきではあるが、急迫性はなかつたものといわなければならない。そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被告人の本件所為は正当防衛行為にあたらないことが明らかである。

そうすると、本件公訴事実につき、被告人の所為は天木の急迫不正の侵害から自己の生命、身体を防衛するためやむを得ざるに出た正当防術行為であると認め、被告人に対し無罪の言渡しをした原判決は、正当防衛の前提事実を誤認し、ひいては正当防衛に関する法令の適用を誤つたものというのほかなく、右誤認及び誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、更に次のように判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五六年四月一日午前二時ころ、熊本県玉名郡長洲町大字清源寺七七七番地雄飛建設従業員宿舎二階二号室の被告人方前廊下において、先に殴り合いの喧嘩をした天木求(当時三九歳)及び田中豊志(当時三〇歳)が園徹男(当時三九歳)、大廣實(当時三一歳)及び嶋村稔(当時三七歳)を引き連れ、右田中において脇差を携えて仕返しに来たのを認め、これに応戦するため右手に刃体の長さ約19.3センチメートルの出刃包丁を、左手に刃体の長さ約17.4センチメートルの刺身包丁を持つて同人らに立ち向かつたが、右天木において右田中から受け取つた刃体の長さ約57.3センチメートルの脇差で自己の前頭部及び前額部を切りつけたので激高し、このうえは自己がやられる前に右天木を殺害しようと決意し、素早く右手に持つていた出刃包丁で同人の左胸部を力一杯突き刺して、同人に胸部刺創(心膜、横隔膜、肝、胃損傷)の傷害を負わせ、よつて同人をして、縦隔膜膿瘍、脾臓腫大、肝臓腫大、黄疸、菌血症等を併発させ、更に、気管支肺炎、肺水腫等を続発させ、これらに基づく急性心不全により、同年九月一七日午後七時八分ころ、熊本市長嶺町二二五五番地二〇九熊本赤十字病院において死亡するに至らしめて殺害したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)〈省略〉

(山本茂 池田憲義 松尾家臣)

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